2007年03月03日

FTA FTA FTAの動き

FTA(Free Trade Agreement)
自由貿易協定はWTO(世界貿易機構)の加盟国が149カ国と増えすぎて、利害関係の折衝が困難になったことから、新たな自由貿易の理念として登場した。

実質的には各国間でEPA(Economic Partnership Agreement)を結び、労働力、輸出入、海外投資、経済協力が円滑に行えるようにする。そして、その積み重ねがFTAというになる。

日本は01年のシンガポールを皮切りに04年にメキシコ、06年にマレーシア、フィリピン、タイとEPAを結び、今後は韓国やASEAN諸国との締結を目指して交渉を続けていく。

最終的には「東アジアEPA構想」に基づいてEU、NAFTAと世界を3分するFTAの構築が目標となる。

そんな中、メキシコは3大商圏とFTA関係を結んでおり、今後世界の自由通商の拠点として発展する可能性を秘めている。
posted by さわ at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

市町村合併のまとめ

北杜市
長坂、高根、白州、須玉、大泉、明野、武川、小淵沢)
南アルプス市
(芦安、白根、櫛形、若草、甲西、八田)
笛吹市
(春日居、石和、一宮、八代、境川、御坂)
中央市
(田富、玉穂、豊富)
甲斐市
(竜王、敷島、双葉)
市川三郷町

(市川大門、三珠、六郷)
山梨市

(山梨、牧丘、三富)
甲州市3

(塩山、勝沼、大和)

上野原市

(上野原、秋山)
富士河口湖町
(河口湖、足和田、勝山、上九一色)
身延町
(身延、下部、中富)
甲府市

(甲府、中道、上九一色)
posted by さわ at 15:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 山梨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山梨の古墳時代

弥生時代に登場した山梨県の首長たち。
彼らは奈良盆地を中心に栄えたとされる邪馬台国=畿内王権の当方進出の基地的役割を果たしている。

これは現在の米国の朝鮮戦争時における日本の役割に似ている。

また、長野、山梨の一帯は名馬の産地としても知られていて、中でも「甲斐の黒駒」は有名で、この時代から続いた馬の産地としてのノウハウは後の武田騎馬隊などに見られる騎馬文化形成にも大きな影響を与えていたと考えられている。

畿内王権と結んで勢力を強大化した首長たちはその権力を誇示するように曾根丘陵に古墳を建設し、時を経るごとに徐々に外へと広がっていった。

代表的な古墳は
4C中期 小平沢古墳(県内唯一の前方後方墳)
4C後期 大丸山古墳、銚子塚古墳(前方後円墳)
5C   天神山古墳


5Cころからは曾根丘陵近辺にも古墳の建造が伝播。
古墳時代末期には県内全般の生産力が向上し、古墳の乱立が起こったため、古墳が権力の象徴と呼べる時代は終わりを迎えた。
posted by さわ at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 山梨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山梨の縄文弥生時代

縄文時代に差し掛かる頃には気候も温暖となり、果物や食獣が繁殖。さらに土器が発明されて食糧保存が可能になると、人々の生活は一気に安定し、定住もできるようになった。

しかし、盆地内部での定住の痕跡は発見されておらず、定住地域は県境に集中していることから、この時代も運搬の中継地としての性格が色濃く表れている。

県内最古の土器は北杜市明野町の神取遺跡から出土。
代表的な遺跡には甲州市勝沼町、笛吹市一宮町にまたがる大型遺跡、釈迦堂遺跡群がある。

稲作文化が始まったとされる弥生時代。
代表的な遺跡は韮崎市の中道遺跡で、籾痕のある土器が出土したことから稲作の伝播状況を考える上で重要な役割を担っている。

この時代になると、釜無川沿いの盆地底部にはじめて定住的集落が誕生する。甲斐市敷島町の金の尾遺跡では周溝墓が発見された。これらは大きさによって墓の主の権力の大きさを表す性格があり、いよいよ首長が登場したことを示している。
posted by さわ at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 山梨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第一次中東戦争

ドイツのヒットラーによるユダヤ人の虐殺、差別により、多くのユダヤ人たちがドイツを離れ、パレスチナの地へ流れ込んだ。

民族戦線に拍車がかかっていた当時のパレスチナ地域住民が彼らを受け入れるはずもなく、武力による弾圧が起ころうとしていた。

それまで統治権を発揮していたイギリスだったが、もはや、混乱は彼らの力でどうにかなるレベルではなく、国連に調整をゆだねることになる。

そして、国連はユダヤ人の国とアラブ人の国に分けて建国し、合同の聖地であるイエルサレムは国際的に中立な都市にすることにした。

こうしてユダヤ人とアメリカ、ソ連の働きかけによってイスラエル国家が樹立されたのだが、これをアラブ民族が容認するはずがなかった。

国連を中心とした強権発動に対して軍事行動で抵抗した。これがパレスチナ戦争(第一次中東戦争)である。戦争自体は国連の調停によって停戦を迎えるのだが、このときイスラエルはちゃっかり当初の分割案から1,5倍の領土を手に入れ、ヨルダンがヨルダン川西岸を、エジプトがガザ地区をそれぞれ自分の領土とした。

このように多くのアラブ人の土地が略奪される過程で、アラブ系のパレスチナ難民が数多く発生したが、彼らの救済は一切行われなかった。

ユダヤ難民を手厚く保護する一方でないがしろにされるパレスチナ難民。反米、反ソ、反ユダヤの思想は人々の心に強く刻み込まれ、中東の溝はさらに深まっていく。
posted by さわ at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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