2007年03月02日

中東情勢1 イランの石油利権

イランのレジャー=シャーは西欧の国家と結びついた王権のひとつであった。しかし、大戦中にドイツと結んだことが災いし、ドイツの敵国であったイギリス、ソ連にそれぞれ南北から圧力をかけられ、失脚させられてしまう。

1941年、英ソはパフレヴィー2世を即位させた。

ところが、大戦が終わり、ワルシャワ条約機構とNATOによる冷戦状態に突入すると、ソ連支配下の北イランにてアゼルヴァイジャン、クルディスタンの革命地方政府が樹立される。これを受けたパフレヴィー2世はイギリスよりの政策をとりはじめる。

民族運動を進めていた人々はパフレヴィー2世が西欧の代表格であるイギリスと親しくしているのが我慢ならなかった。特に、イギリス系のアングロ=イラニアン石油会社がイランの石油利権を独占していることに耐えかねていたのである。

そこで民族戦線の代表モザデグは左翼勢力、イスラム系の勢力を取り込みながら、首相にまで上り詰め、ついにアングロ=イラニアン石油会社をイランの国有にすることに成功した。

だが、イギリスはしたたかに切り返す。
「だったら、イランの石油は国際市場から締め出すから。」
こうしてモザデグ率いたイランは簡単に経済破綻を迎え、
求心力の衰えたところをアメリカとイギリスの支援を受けたパフレヴィー2世によって叩き潰されたのである。

イランの石油利権は、イラン締め出しに協力したイギリス、アメリカ、オランダ、フランスの8大石油会社による国際石油財団が確保するに至った。

さらに55年には反共産主義の中核としてバグダード条約機構(METO)の結成に尽力し、50年代のイランはまさに米国と歩みを共にする国家であった。


posted by さわ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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