2007年03月03日

第一次中東戦争

ドイツのヒットラーによるユダヤ人の虐殺、差別により、多くのユダヤ人たちがドイツを離れ、パレスチナの地へ流れ込んだ。

民族戦線に拍車がかかっていた当時のパレスチナ地域住民が彼らを受け入れるはずもなく、武力による弾圧が起ころうとしていた。

それまで統治権を発揮していたイギリスだったが、もはや、混乱は彼らの力でどうにかなるレベルではなく、国連に調整をゆだねることになる。

そして、国連はユダヤ人の国とアラブ人の国に分けて建国し、合同の聖地であるイエルサレムは国際的に中立な都市にすることにした。

こうしてユダヤ人とアメリカ、ソ連の働きかけによってイスラエル国家が樹立されたのだが、これをアラブ民族が容認するはずがなかった。

国連を中心とした強権発動に対して軍事行動で抵抗した。これがパレスチナ戦争(第一次中東戦争)である。戦争自体は国連の調停によって停戦を迎えるのだが、このときイスラエルはちゃっかり当初の分割案から1,5倍の領土を手に入れ、ヨルダンがヨルダン川西岸を、エジプトがガザ地区をそれぞれ自分の領土とした。

このように多くのアラブ人の土地が略奪される過程で、アラブ系のパレスチナ難民が数多く発生したが、彼らの救済は一切行われなかった。

ユダヤ難民を手厚く保護する一方でないがしろにされるパレスチナ難民。反米、反ソ、反ユダヤの思想は人々の心に強く刻み込まれ、中東の溝はさらに深まっていく。
posted by さわ at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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