2007年03月03日

山梨の縄文弥生時代

縄文時代に差し掛かる頃には気候も温暖となり、果物や食獣が繁殖。さらに土器が発明されて食糧保存が可能になると、人々の生活は一気に安定し、定住もできるようになった。

しかし、盆地内部での定住の痕跡は発見されておらず、定住地域は県境に集中していることから、この時代も運搬の中継地としての性格が色濃く表れている。

県内最古の土器は北杜市明野町の神取遺跡から出土。
代表的な遺跡には甲州市勝沼町、笛吹市一宮町にまたがる大型遺跡、釈迦堂遺跡群がある。

稲作文化が始まったとされる弥生時代。
代表的な遺跡は韮崎市の中道遺跡で、籾痕のある土器が出土したことから稲作の伝播状況を考える上で重要な役割を担っている。

この時代になると、釜無川沿いの盆地底部にはじめて定住的集落が誕生する。甲斐市敷島町の金の尾遺跡では周溝墓が発見された。これらは大きさによって墓の主の権力の大きさを表す性格があり、いよいよ首長が登場したことを示している。
posted by さわ at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 山梨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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