2007年03月03日

山梨の古墳時代

弥生時代に登場した山梨県の首長たち。
彼らは奈良盆地を中心に栄えたとされる邪馬台国=畿内王権の当方進出の基地的役割を果たしている。

これは現在の米国の朝鮮戦争時における日本の役割に似ている。

また、長野、山梨の一帯は名馬の産地としても知られていて、中でも「甲斐の黒駒」は有名で、この時代から続いた馬の産地としてのノウハウは後の武田騎馬隊などに見られる騎馬文化形成にも大きな影響を与えていたと考えられている。

畿内王権と結んで勢力を強大化した首長たちはその権力を誇示するように曾根丘陵に古墳を建設し、時を経るごとに徐々に外へと広がっていった。

代表的な古墳は
4C中期 小平沢古墳(県内唯一の前方後方墳)
4C後期 大丸山古墳、銚子塚古墳(前方後円墳)
5C   天神山古墳


5Cころからは曾根丘陵近辺にも古墳の建造が伝播。
古墳時代末期には県内全般の生産力が向上し、古墳の乱立が起こったため、古墳が権力の象徴と呼べる時代は終わりを迎えた。
posted by さわ at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 山梨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。