2007年03月12日

荘園成立と武士の台頭

中国の律令体制が飛鳥時代に流入し、公地公民制となった日本。
だが、生活の安定は人口の増加を促し、口分田が不足していく。

朝廷は開拓した土地は孫の代まで保障するという三世一身法を制定したが、割に合わないため当然開拓は進まない。

仕方なく、開拓地を永久的に開拓者のものとする墾田永年私財法を制定した。そして、この決断は後の日本の行方を決定付けた。

こうして開拓され、私財化した土地を荘園と呼ぶ。

荘園を手にしたはいいが、弱肉強食の時代、土地を守れない者たちは有力貴族や寺院に土地を寄進していった。
年貢を納める一方で、生活を保障される荘管として生きる道を選んだのである。

貴族や寺院では不輸不入の権で朝廷から自分たちの荘園から年貢を納めなくて良いことになっていたから、藤原氏ら貴族の力はメキメキと発達していき、逆に収入源を失った朝廷は衰えていった。

政府の力が衰えると、取締りの力も落ちるため、治安が悪化する。だから、自警団のような自前の警備隊が必要になる。こうして、腕っ節の強い男たちを中心に武士になる者が出現した。
その際たる例が源氏であり、平氏であった。

山梨県で初の荘園は10C初頭の市河荘。甲斐源氏が最初に拠点とした荘園である。

朝廷側もこのような状態に手をこまねいていただけではなく、国司を通じてあらゆる手段を用いて不輸不入を喝破しようと試みた。荘園と朝廷の対立は次第に泥沼化し、ガードマンとしての武士の地位は飛躍的に向上していった。
posted by さわ at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 山梨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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