2005年10月26日

うたほんについて思うこと



おれらの代では発表会で「足音」という曲を演奏しました。
この曲はもともとうたほんに入っていた曲ではなくて、
発表会、およびそれに向けての活動を通して
「やさしさ」を伝えたいと考え、選曲された曲でした。



実際にうたほんに入ったのは翌年ということになります。
このとき、舞踊部同期のまっつんに言われたのが
「これは普及じゃなくて創研がやることだと思う」ということでした。

当時はなにくそと思ったのですが、数年たち、冷静に考えてみると

「その通りだ」

と思うようになったのです。



伝えたい思いがあって曲を探すのであれば、自分たちで作るのが1番いい。


じゃあ、普及ってなにをすればいいんだという話になるじゃないですか。
うたほんにはどんな曲があって、どんな想いが込められていて、自分たちは発表会で
何を発表すればいいんだろうって。


ぼくが思うのは、うたほんの歌はみんけんの中での民謡にあたるということ。
50年以上生き残ってきた曲にも新しい曲にも入れた人の気持ち、
活動で共有した時間、思い出、歌ったときの感情や作った人の思いがこもっていて、
その結晶がうたほんなんだと思うんです。

それをもとに、普及部が全団に「この曲いいな〜〜」って
思ってもらえるような材料を持っていって、
そこからみんながなにかを感じ取る。

その結果、外部の人にも聞いてもらいたいな、
知ってもらいたいなって思えた曲を発表する。

それが普及の本来あるべき発表の姿なんだろうと思うわけです。



だから、やっぱりね、発表会の曲はうたほんの中からというのがいいのかなって思う。
2年生のやりたいことをっていうのも大切なんだけれども、
やっぱり間違ってるものは間違ってるっていえる力は大切なんだ。

ま、その失敗があったからこそ、
今、この記事を書いている自分がいるわけだけれども。


歌があって、思いがあって、歌を普及するのが普及活動。

思いがあって曲を作って発表するのが創作研究。


まとめてしまうとこんなに簡単な構造。たどり着くのに3年を要してしまった。

みんけんはひとつの団体だから、普及活動でできないことは他の活動でやることができる。普及は普及にしかできないことがあるわけだから。

自分たちの知っている歌や音楽のよさを伝えたいという普及で培った気持ちはどんな活動にもつながる重要な要素だと思うしね。

現役のみんなにはみんけんの歴史や、作者の思い、OBたちがつないできたものを重荷にしないで、自分たちの音楽を追求するための養分にしてほしいと思う。うたほんに思いをはせて、そこから得られるものは限りなく大きい。

そして今、うたほんは果てしなく分厚い。

posted by さわ at 06:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 民謡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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